茨城県つくば市のシティプロモーションサイト


【古代人の生活や文化に触れる歴史ロマンの旅! ワクワク度☆3つ】「下河原崎高山古墳群 発掘調査遺跡現地説明会」後編

注意:人骨の画像が出てくるから、閲覧に注意してフクね!
今回は前編後編の2回に分けてご紹介するフクよー!

image01.jpg

いにしえのつくばを辿る旅へようこそフクー!
つくば市南西部、下川原崎地区から出土した下川原崎高山古墳群の現地説明会を紹介しているフクよ。
前編では、調査で見つかった各古墳の特徴を紹介したフク。後編の今回は、発掘調査をおこなった茨城県教育財団調査員の駒沢さんにお話を伺ったフク!
出土物から昔の人たちがどんな生活をしていたかが分かるんだって! さあ、一緒にレッツゴー!

茨城県教育財団 調査課首席調査員の駒沢さんにお話を聞きました

image01.jpg
駒沢さんは、調査班の班長さんフクよ! 出土物を間近で見せてもらえるなんて貴重な体験フク♡
icon_f.jpg

今回は『未盗掘の石室』と、大きな墓でしか見つからない『銅鋺(どうわん)』という大発見があったフクね。

spk_01.jpg

私たちも驚きました。古墳は全国的にみても盗掘されていることが多いんです。正確な数ではありませんが、だいたいその地域の古墳の約一割しか未盗掘はないと言われています。
近くにある3号墳や18号墳は盗掘されていましたので、なぜここだけ被害がないのか理由は定かではありませんが、奇跡的としかいいようがないということになります。

icon_f.jpg

5号墳はここと隣にもう一個石室があるけれど、そちらはどうだったフク?

spk_01.jpg

現時点では何も見つかっていません。盗掘にしては綺麗すぎるため、埋葬後なんらかの理由で他に移したと推測しています。

icon_f.jpg

うーん、ミステリーフクね~。今回見つかった人骨はどんな立場の人だったフク?

spk_01.jpg

断定はできませんが、この地域で権力をもっていた首長的な立場の人ではないかと思います。その証拠に今回、銅鋺(どうわん)といわれる限られた人しか持てなかったものが出土したので、その説を裏付けていると思います。

icon_f.jpg

へえ、銅鋺(どうわん)ってそんなにすごいものフク?

spk_01.jpg

銅鋺(どうわん)は古墳からもでていますが、実は奈良時代や平安時代の寺院跡や近くの集落跡から出土することが多いんです。ということは……

icon_f.jpg

お寺で使うものだった?

spk_01.jpg

そうです。古代でお寺というと当時は政治の中心です。そういうところからでるというのは政治と関係があるし、地域の権力者との関係が当然でてくるわけです。
古墳を作ることで自らの権威をアピールしていた全国の権力者は、古墳時代末期になると大陸から入ってきた仏教の影響で、「古墳はもう古い! これからは仏教だよ!」とこぞってお寺を建てはじめます。
それよりも少し前の過渡期に仏具である銅鋺(どうわん)を持っていたということは、いち早く新しい文化や宗教に触れていた人間。やはり政治の中心にいた人物だといえるかなと思います。

icon_f.jpg

ということは、この古墳群は5号墳の権力者を中心とした、政治を行っていた仲間たちのお墓と考えられるフクね。

spk_01.jpg

そうですね。茨城県内の古墳から銅鋺(どうわん)が出土されたのは、今回で8例目です。主に霞ヶ浦沿岸の首長墓丘からでることが多く、県西や県北では見つかっていません。古代霞ヶ浦は水上交通の要港で、船を使って物資や人が入って来ました。そういった場所には大きな古墳が多く作られています。石岡市の『舟塚山古墳』なんて県内で一番大きいですよね。
今回霞ヶ浦からやや離れたつくばの地で銅鋺(どうわん)がみつかったことから、古代つくば近辺が重要な地だったことを示しているかもしれません。

icon_f.jpg

フク~。そんなにすごい人がつくばの地にいたかもしれないなんて驚きフク!
ボク、わくわくがとまらないフク。そういえば、5号墳の人たちって同じ時代に埋葬されているフク?

spk_01.jpg

最初の埋葬は古墳が建てられた古墳時代末期だと思います。1度に全員を埋葬したわけではなく、蓋に残された形跡からその後何代かに分けて追葬しています。今後DNA鑑定で、人骨の性別や年齢、血縁か地縁かも解明されると思います。

icon_f.jpg

現在のボクたちのように一つのお墓に家族が入るという考え方だったのかな。

spk_01.jpg

昔の死生観はハッキリとはわかりませんが、あの世でも生前と同じ生活が続くと考えられていたのかもしれませんね。追葬という考え方は、古墳時代終末期の大きな特徴であり、各地で追葬が可能な『箱式石棺』が多く作られています。大体一つの石棺から3から4体でることが普通なんです。今回の6体は全国の例からしても多い方に含まれると思います。
また、箱式石棺と同じように『横穴式石室』という入り口から何度も開けられるタイプの埋葬方法もあります。18号墳は横穴式石室が確認されました。古墳時代前期には、一つの古墳に一人の王を埋葬していた。それが時代とともに一族を埋葬する『多数埋葬』に変化していくわけですね。
そういえば、フックン船長。石室は古墳の真ん中部分に作られていないって知っていますか?

icon_f.jpg

そうフク!? 中心じゃないフク? 知らなかったフクね~。

spk_01.jpg

追葬時に毎回、何mも掘り返すのって大変ですよね。だから大体真ん中よりも斜面の裾に石室を作るんです。当時の人は埋葬した場所がわかっているから、50cmも斜面を掘れば蓋石がでてくるので比較的楽に追葬ができるように作られているんですよ。

icon_f.jpg

フク~! よく考えられて作っているんだなあ。古墳や出土物で当時の人の考え方がわかるのって面白いフクね。今回の調査は10月までって聞いているけれど、今後出土物を見ることはできるフク?

spk_01.jpg

ハッキリとはお約束できませんが財団のセンターで分析が済んだ後、県内の施設で公開できるかと思います。

icon_f.jpg

よかったフク! それなら今回の説明会に来られなかった方も見ることができるフクね。今後5号墳と18号墳の公開は予定しているフク?

spk_01.jpg

残念ながら2基の調査は10月末で終了し、いずれ宅地になってしまいます。我々も残念に思っています。せめて遺跡があったことだけでも記録をしておかないと存在自体消滅してしまいますので、しっかりと調査を進めているところです。
また、今回新たに5号墳横に縄文時代の住居跡が発見されたため、来年度はそちらの調査をはじめることになりました。

icon_f.jpg

フク! この場所は、時代によっていろんな活用をされていたんだなあ。古墳が埋められてしまうのは残念だけれど、調査員の方が古墳の存在を後世まで残してくれるのはありがたいフクね。今後の分析結果が楽しみフク。駒沢さん、どうもありがとうございましたフクッ!

フォトギャラリー

image01.jpg
「青銅製の『銅鋺(どうわん)』をよーく見ると、縁に二本の線が書かれているのがわかるフク。金属のへらで狂いのない直線のすじがつけられているんだって。職人芸フクね。」
image01.jpg
「銅鋺(どうわん)を真上からみると見事な正円! 口径14cmあるんだって。」
銅鋺(どうわん)は鋳造したあと、ろくろで削って形を整えて作られます。これはかなり精巧なろくろがこの時代にあったことを物語っています。
image01.jpg
「銅鋺(どうわん)とともに葬られていた5本の『鉄刀』。埋葬されている人が携帯していたもの、もしくは代々伝わっているもので、武力をアピールするために置かれているそう。石棺の横幅に合わせて折られ、左側に枕石をかませて丁寧に揃えられているのがわかるフクね。」
正確なことはまだ不明ですが、もとは埋葬のたびに一本ずつ入れられていたものを最後の埋葬時に折って端に並べたのではないかとのことです。他の古墳では権力のアピールとして鎧が出土する場合もあるそうです。
(画像提供:公益財団法人 茨城県教育財団)
image01.jpg
「石室は『雲母片岩(うんもへんがん)』と言い、触っただけで粉っぽくなってしまう柔らかい石を使って作られているフク。主に筑波山麓で産出されているものなんだって。地元の石を上手に利用していたフクね~。」
千葉県の北総地域の古墳は、ほとんどこの石を使って作られているそうですので、逆に筑波山の石を向こうまで運んでいたことになります。使用した石だけ見ても各地域の権力者同士で交流があったことがわかりますね。
image01.jpg
古墳の年代は、出土した焼き物で推定しています。今回は周溝から見つかった『須恵器(すえき)』という灰色の硬質土器で古墳が作られた大まかな年代がわかりました。須恵器は副葬品ではなく、死者を弔う祭りで使用されるお供え物の役割をしています。『祝部土器(いわいべどき)』とも呼ばれます。
「死者を偲ぶ供献(きょうけん)として墳丘の裾におかれたものが、たまたま転がり落ちたと考えられているフクよ。」
image01.jpg
須恵器は、銅鋺(どうわん)より精巧さにかけますが、ろくろの技術を使って作られました。表面の釉薬(うわぐすり)を塗ったように艶めく箇所は、窯の中の灰が溶けて垂れた自然のもの。『自然釉』といいます。『あながま』と呼ばれる専用の登り窯で薪をくべ、1,100度以上の高温でいぶして作られるため、熱さで灰が溶けて釉薬をかけたように見えるのです。
「美しいフクね~。」
image01.jpg
『耳環』と『丸玉』は、墳丘から見つかりました。本来は副葬品だったと考えられますが、何らかの理由で石室外に捨てられたそうです。銅の周りに『と金』といって金を貼り付けています。現在は銅が酸化して青緑色の錆に覆われていますが本来は美しい金色をしていたとのことです。
「昔の人もお洒落だったフクね~。」

おわりに

あー、とっても興味深かったフクね。人骨はもちろん、副葬品や出土物、古墳の作り方の違いで、埋葬された人を想像したり、当時の文化や交流が垣間見られるのは貴重な経験になったフク。下河原崎高山古墳群の一般公開は残念ながら今回のみだけれど、駒沢さんたちのチームは他につくばの中根地区にある遺跡も一年間調査しているフク。いずれその場所も説明会を開催するかもって言っていたフクよ。
また、財団では学校の体験学習にも積極的に協力していて、今回の古墳群では高山中学校の全校生徒と島名小学校、真瀬小学校の6年生が見学に来たんだって。子供たちも興味津々でとても喜んでいたみたい。
そうそう、申請があれば2時間ほどの遺跡の発掘体験もできるフク。実際に遺跡を掘ると中から縄文時代や古墳時代の土器などが出てきて、まるで宝探しみたいに楽しめるフク。先生方、授業にいかがフク!?お住まいの地域に近い事務所を紹介してくれるんだって。学校以外にも個人や小グループでも、随時遺跡見学を受け付けているので、興味がある人は財団のHPをチェックしてみてね。気軽に遺跡に足を運んでもらえるとうれしいって駒沢さんは言っていたフクよ!
駒沢さんや調査員の皆さん、貴重なお話をきかせてくれてどうもありがとうございました。今後も古代の茨城県を解明するため、調査を頑張ってくださいフクッ!

※下川原崎高山古墳群は、10月末で調査が終了しており、終了後は現地を見ることはできませんのでご注意ください。

イベントデータ

イベント名 「下河原崎高山古墳群」発掘調査遺跡現地説明会
開催日時 2016年10月8日(土)9:30~10:30・11:00~12:00の二回開催
開催場所 〒300-2662 茨城県つくば市下河原崎字三夜下449番地の2番地ほか
(つくば市立高山中学校体育館横)
※この古墳の現地説明会は今回のみです。
今後の市内遺跡説明会については教育財団のHPをご覧ください。
参加費 無料
駐車場 教育財団つくば下河原崎事務所駐車場
アクセス 電車の場合:つくばエクスプレス線「万博記念公園駅」より徒歩約30分
お車の場合:常磐自動車道 「谷田部IC」から約15分
首都圏中央連絡自動車道「つくば中央IC」から約15分
問い合わせ先 公益財団法人 茨城県教育財団
電話番号 029-225-6587
Mail info@zaihon.ibk.ed.jp
URL http://www.zaihon.ibk.ed.jp/